第13回 「機内誌で縄文と出会う」
f0196797_9461884.jpg昨年末、機内誌を見ていたらなつかしい記事に出会いました。カナダ北西海岸の先住民の遺跡が紹介されていたのです。1995年の秋、私はカナダ北西海岸へ向かいました。この北西海岸地域にはかつて巨大なトーテムポールを造った人達が住んでいたムラが遺跡として残っており、世界文化遺産にも登録されています。

三内丸山遺跡ではその前の年に、あの直径1mのクリの巨木を使った大型建物跡が見つかり、多くの見学者が訪れており、三内丸山フィーバーはますます盛り上がっていました。そして、あの六本柱が何であるのか、その議論も盛んに行われていました。県内部では復原の構想もあり、その議論の動向を注意深く見守っていたところでした。その中にはトーテムポール説もありましたので、一度本物を見てみたいと思っていたところ、幸運にもそのチャンスが巡ってきました。もちろん、公費出張ではなく、年休を有効活用しました。

f0196797_9484560.jpgカナダ・バンクーバーから北西へ約750kmのところに先住民ハイダ族の集落が点在するクイーン・シャーロット諸島があります。クイーン・シャーロット諸島はいくつかの島からなり、入江も多いので、移動は船になります。一晩、船に揺られ、やや船酔い気味でクイーン・シャーロット諸島の南端に位置する、ニンスティンツを目指しました。ここはハイダ族のかつての拠点集落でトーテムポールが最も数多く残っている所として知られています。薄暗い、湿った針葉樹の森を抜けると、海沿いに枯れ木が立っている小さな入江が見えてきました。さらに近づくと、枯れ木には何か彫刻がしてあります。枯れ木に見えたのはまさしく一目見たいと思っていたトーテムポールでした。

f0196797_9493867.jpg長い間風雪にさらされていたためか、折れたり、傾いていたり、中には倒れているものもあり、往時の姿を留めるものはありません。表面は風化が進んではいますが、顔やワタリガラスなど厳しい表情がはっきりと読み取れます。直径は1mほどで、高さもかつては10m以上はあったのでしょう。海岸沿いに立ち並ぶ姿はやはり偉容で、何か人を容易には寄せ付けない無言の迫力を感じました。トーテムポールの後ろには住居跡がやはり海岸線に沿うように並んでいます。もちろん、半地下式の竪穴住居で、板壁が崩れ落ちたり、柱が傾いていたり、まさしく廃れ行く遺跡といった状況でした。二日間ですが、トーテムポールや集落をじっくりと観察することができました。そして、三内丸山遺跡の6本柱はトーテムポールとは考えられないとの結論に達しました。

このニンスティンツは当時大集落でしたが、ヨーロッパ人が持ち込んだ天然痘で壊滅的な打撃を受けました。人々が村を去り数百年が経過し、かつての繁栄の跡はかすかに残ってはいますが、やがて針葉樹の森に飲み込まれてしまうことは間違いありません。世界遺産とはいえ、この運命は変えることはできません。この時の詳しい話しはいずれ紹介したいと思います。
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# by jomonfan | 2009-03-12 09:48 | 岡田 康博
第13回 遊びこころ それが心のゆとりです(その2)
「遊びの美学」なんて言う言葉ってあるのだろうか。あるかも知れないが、私は知らないだけでしょう。私の中では「欲張らないこと」が美学の一部にある。

野遊びではことさらに大事にしたいことです。最近の雑誌はジャンル別に枝分かれし、アウトドア関係の書籍も多いが、さながら「道具図鑑」の趣が強いのは否めない。知識のない人は、道具があればプロにでもなったような気になるのかも知れないが、どこか違いますよ!と言いたい。最小限の道具を言えば「リュック、雨具、ライト、グローブ、ファーストエイドキッド」があれば通常の山歩きでは事が足りる。自分の体力を考えても余計な道具は携行しないことが良いようです。荷が軽いとフットワークもよく、心も軽いのです。

f0196797_9242352.jpgまた、山菜の採取も欲張ることなく程ほどにしたい事の一つです。たくさん採っても自分の口に入れる量は少しで、知人に配るのがオチ。「自己満的」ではないだろうか。白神の山々は、山菜の宝庫で知られているが、昔ほど食べ物に不自由な時代ではないのでプロでもない限り、限度をわきまえることが肝心だと思います。人の文化は「貯蔵」の技術を身につけた時から変化したと思うのです。それは「貯める」ことを知った段階で「貪欲さ」が生まれてしまったと思うからです。

西目屋村では、山に入るときは「にぎりめし」があればいい。と言われていたようですが、日本中が貧しい時代の山村生活の共通点だったのでしょう。

それこそ「味噌と塩」を持てばどこでも食べることができた時代の再現は難しいが参考にしたい考え方です。この北東北地方に居住していたアイヌの民は必要な分だけ「頂いた」と言うが、「取る・採る」とは思想的に随分と違うことを感じます。そういう私も偶然に見つけた「マイタケ」だけは、置いてくる訳にはいかない気になるのです。「言行不一致!」の誹りが聞こえるようです。
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# by jomonfan | 2009-03-12 09:24 | 土岐 司
第12回 やりすぎの美学
「やりすぎの美学」というものが、私の中にあるのですが。何かを徹底的に行う人に、えも言われぬ魅力を感じてしまう私は。建築史家の藤森照信さんの「縄文建築」に惹かれてその書物を読み漁り、藤森さんが庭に建てたという茅葺きの、「自家用竪穴式住居」に常識を覆されて、「庭に竪穴式住居があるって、どんな感じだろう?これは、建ててみないとわからない!」という思いで、自宅の庭に杉の皮葺きの、竪穴式住居を建ててしまったのでした!

藤森照信さんの縄文建築というものは、そのものズバリ。「自然素材路線をやり過ぎた建築」です。
遺跡のようなデザイン性を持ち、自然素材を多用して造ったその建築は、「見たこともないのに懐かしい」と称される、なんとも不思議な建築物です。

鉄筋コンクリートで土台を作り、藁の入った土色のモルタルで覆った外壁は、その上から土をスプレーで吹き付けられたりします。
屋根には半世紀前の技術で鉄平石が葺かれ、その屋根をイチイの丸太が「突き抜けている」というデザイン。窓には手吹きのガラスで造られた、ガラス障子が使われています。

浜松市にある秋野不矩美術館、屋根の上にニラを植えた赤瀬川原平氏邸「ニラハウス」(日本芸術大賞受賞)や、タンポポを植えた「タンポポハウス」、松の木を象徴的に使った「一本松ハウス」など。
漆喰壁や自然素材・植物を多用した藤森照信さんの建築は、断熱性を高めるために壁の厚さを三十センチにするなど、現代ではおおよそ、見たことも聞いたこともない建物であることに間違いはありません。

そういった「建築」に焦点をあてて三内丸山遺跡を見ると、ここにある大型復元住居や、樹皮葺きや土葺きで造られた縄文の復元住居は。なんともいえない味わい深いものに見えてきます。
土の匂いのする建築。それが、復元住居の魅力なのではないでしょうか?
昨年秋に三内丸山遺跡で開催されたJOMON NIGHTでは、大型復元住居の中で、縄文夜会を開こうという趣旨の下、「そこまでやるのですか!?」と言わせるような縄文料理が私たちの前に供されました。

まず、前菜は山菜料理と海産物の干し物。刺身は昆布締めにした平目を黒曜石で削いだもの。(抜群に美味しい。しかも黒曜石って……)
焼き物は「鯛と鮑の朴葉包み塩釜焼き」、「イノシシのつくね」に、イノシシに栗や胡桃を入れて焼いたもの、「イノシシのシソ巻き」など。鍋物は豊富な魚介類の「焼き石鍋」!デザートにアケビや胡桃、ヤマブドウ、栗という縄文の豪華食材が目白押しという、夢のような宴でありました。

土の匂いを嗅ぎ、縄文太鼓の迫力ある音に酔い、裸足で踊り出してしまうような。(実際に踊り出してしまいましたが)縄文に彩られた一日でした。

史跡である三内丸山遺跡では、普段は火を使うことができません。
なので、こういったイベントはめったに開かれるものではないと思います。
しかし、縄文というものはやはり、火がなければ語れないものだと思うのです。
縄文土器を野辺で焼き、土器で料理を作り、炉に火を入れ、火を囲んだ縄文人。
火は、縄文を語る上で最も重要なものだと思います。

そういった火を使った催しを、実際に三内丸山でできないものか? 
こういった問いかけに、県庁職員の方々は、
「史跡で火を使うことは本当は許されていないのですが、『縄文特区』ということで許可が下りれば……」
と、前向きな姿勢を見せて下さいました。
そう、やりすぎの美学です。どうせやるなら、徹底的に! 我々の力で縄文の心を、取り戻そうじゃないですか!

できることなら、三内丸山遺跡まで来ていただけるのなら、春になったら裸足になって、大地の上を歩いてほしい。
縄文時遊館という建物は、「現代から縄文へ」というコンセプトに基づいて造られている建物だと思います。
f0196797_9204469.gif現代的なその建物のトンネルをくぐり抜けたら、私たちの知っている場所とは違うところ。縄文の里が現れるはずなのです。その場所に求められているのは、植物に触れ、土の匂いのする住居の匂いを嗅ぎ、草の上に寝転び、風を感じ、自然の心を取り戻すこと。

靴を履かないことを知らぬ私たちは、裸足の足が何を感じ、何を思っているかを知りません。本当に美味しいおむすびは、手を水で濡らし、手に塩を塗って、心を込めてご飯を結んだおむすびです。
そんなおむすびを、子供にも、大人にも。青空の下で食べて欲しい。
三内丸山遺跡が、そういった「自然に還る日」を産み出すような、素晴らしい空間になればいいなと。私は願っているのです。
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# by jomonfan | 2009-03-06 09:21 | 山田スイッチ
第4回 発見、旨し匂いあふれる世界遺産
f0196797_9122067.jpg昨年秋、世界遺産に認定された直後の、中国は福建省の土楼群を訪ねた。厦門(アモイ)から車で、幾山河越えの5時間。厚い土壁で作られた方形、円形の土楼が並ぶさまは、どこか不思議の国を思わせる。かつて上空から衛星がとらえた写真を見て、ロケット基地かとNASAが誤解したとの噂も聞いたが、実際は黄河流域から南下してきた客家(はっか)と呼ばれる人々が暮らす、集合住宅である。直径100m近い円楼など、なかには数百人もの人々が暮らしていた建物もあったが、ひとりっ子政策や若者が都市へ流出したことで、昔ほどの賑わいはないのだという。

旅人にとって朗報なのは、その空き部屋を利用して宿を営んでいる土楼があること。水回りを含めて決して設備が整っているとはいえないが、生活のざわめきをBGMに部屋でぼんやりとくつろぎ、世界遺産のなかに滞在する、ほかではできない贅沢を味わった。加えて、根っからの食いしん坊にとってもっとも麗しかったのは、朝昼晩の食事前のひとときである。

今なお複数の家族がいるため、あちこちから中華鍋をたたく音が聞こえ、食欲そそる旨そうな香りがふわりとただよってくる。夕刻、匂いのなかにひたりながら上階の客室前の欄干から土楼のなかを見下ろし、大勢の家族があたりを行き来していたかつての光景に思いを巡らす時間が、愛おしかった。質素を良しとする客家人は化学調味料を使わないため、土楼内で放し飼いにされた鶏や無農薬野菜の料理は、我を忘れたほどに美味なり。滞在中、ひとまわりもふたまわりも成長してしまうおまけもついた。

ウサギの醤油煮込みも食べたのだが、そういえば、三内丸山遺跡からはノウサギの骨が見つかっていたはず。縄文人たちは、どうのように調理していたのだろうか。魚の骨もまた、数多く出土されたのを知り、最近、東京の鮨屋で「青森のヒラメです」と誇らしげに出されると、縄文人も食べていたのだよと、自慢したくなる。

遺跡のなかで青森のとびっきり旨い魚を焼いて観光客に食べさせるのは無理かもしれないが、香ばしい香りが遺跡内に漂えば、5000年前の豊かな食生活がよりリアルに感じられるような気がしてならない。食いしん坊が描く、わがままな夢である。
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# by jomonfan | 2009-03-06 09:17 | 山内史子
第12回 「流し目の土偶!?」
f0196797_14553646.jpg本県の縄文文化を代表する出土品のひとつにつがる市亀ヶ岡遺跡出土の遮光器土偶-おなじみのシャコちゃん-があります。教科書にも登場する、全国的に、いや世界的に知られている優品といっていいでしょう。左足を欠いていますが、全体の形がわかる数少ない土偶のひとつです。明治20年頃に出土したとされ、長く個人蔵でしたが、現在では重要文化財に指定され、文化庁が保有しており、上野の東京国立博物館に展示されています。

その名前の由来ですが、そもそも遮光器とはイヌイットなどの極北で狩猟をする人達が、冬の間、雪に太陽の光が反射して眼を痛めないように、スリット(幅の狭い溝)が入っためがねを使用しますが、このめがねのことを指します。明治時代にイギリスへ留学した当時の東京帝国大学教授坪井正五郎が大英博物館に展示されていた遮光器を見て、日本の土偶の眼はこの遮光器を付けているとの指摘から、眼の大きい土偶は遮光器土偶と呼ばれるようになりました。現在では、遮光器を付けていると考える
f0196797_14583288.jpg研究者は少ないようです。通常、縄文時代晩期に造られた、眼の大きい土偶は遮光器土偶と呼ばれています。土偶は土で造られた人形のことです。

日本の縄文文化の特徴のひとつに土偶があります。大陸にも土で造られた人形はありますが、あまり多くはありません。土偶は乳房や妊娠した状態を示していると考えられるお腹の大きなものがあり、また、明らかに男性と思われるものが見つかっていないことなどから女性を表していると考えられます。何のために造られたのか、その目的にはいろいろな説があります。安産や子孫
f0196797_14592136.jpgの繁栄を祈念する際に使われたまつりの道具説、あるいは病気やけがをした同じ部位を壊すことによって痛みや苦痛を取り去るための身代わり説、そして地母神説、などの魅力的な説がありますが、決定的なものはないようです

昨年末に久々にシャコちゃんを見る機会がありました。俳優の片岡鶴太郎さんを御案内する機会があり、それこそ上から下まで、裏も表もじっくり見ました。その際、今まで気がつかなかったのですが、土偶の顔が少し左側を向いていることに気がつきました。写真ではよくわかりませんが、本物は明らかに少し左側を向いています。なぜなのか、気になって仕方がありません。造る過程で、頭と胴体と接着する時に、少し左側を向いてしまったことも考えられますが、何か意味があるのかもしれません。他の土偶も少し注意して観察、比較してみたいと思います。

じっと正面から見つめられる場合、見つめられる人は一人に限られますが、少し左側を向く、流し目の方がより多くの人々が見つめられていると感じる効果があるのかもしれまません。流し目で多くのファンを魅了した歌手がいたように。遺跡の魅力のひとつは謎がたくさん埋まっていることだと言われます。この土偶にも新たな謎が加わったことは間違いないでしょう。
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# by jomonfan | 2009-03-05 15:00 | 岡田 康博
   

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