日本一の食堂王国・青森。
ところで…和食以外の食堂はないの?
青森県の食堂文化の深さについては、このコラムでも数多くのお店を通じて紹介しているところで、お店を訪れる度に、料理総合力の高さに驚くばかり。ただ、自分が住んでいた神奈川や東京と比較して「そういえば…あのジャンルの店がないなぁ」と思っていた。
そのジャンルとは、洋食に強い食堂。決してビストロのように気取ったものではなく、洋食堂。
東京には、このジャンルの有名どころとして、「キッチ○ジロー」とか「キッチン○海」といった大御所がある。一方、青森の場合は和ものを中心とした食堂が数多く、これは未開のジャンルといってもおかしくない。
で、洋食堂の存在を意識して店を探してみると、意外に早く発見することができた。しかも、三内丸山遺跡に向かうメインストリートの一つ、浪館通り沿いに。
極めて、民家的な外観ではあるものの、道路沿いにはしっかりと「中央軒」と書かれた赤地の看板が掲げられており、入口には「営業中」のプレートの姿も確認。
ということで中に入ると、左手にはメニューサンプルがぎっしり詰まったショーケースの姿。揚げ物、ソテー、カレー、ナポリタン…メニューの多さもさることながら、驚いたのはその値段。500円台からしっかり食べられる、ありがたい価格設定になっている。ただ、丼ものやラーメンも用意されており、洋食だけのメニュー構成になっていないところが青森らしさか。
レンガに囲まれた厨房で腕を揮うのは、
コック帽が似合うご主人。
で、男2人で入店したこの日。注文したのはエビフライ定食とビーフステーキ定食。特に、後者には語感の妙からか不思議な魅力を感じてしまう。
注文した後、自分の視線は赤いレンガで囲まれた厨房に向かった。コック帽が似合うご主人は、手に馴染んだフライパンを片手に、オムライスを作り、生姜焼き定食を作る。そんな姿を見ていると時間を忘れてしまう。
熱々に仕上がったオムライスや生姜焼きを頬張るお客さん。傍目に伺えるそのボリュームはかなりのもの。ちょっとだけ、心の準備が必要だと思った。
20センチ以上のエビフライが2本、
見ただけで胃袋が満たされます。
最初に運ばれてきたのは、エビフライ定食。大きくて太い2本の主役がドンと鎮座した定食は、これぞ洋食堂らしさに満ちた一品。
あまりの大きさに、どうやって食べたらいいのだろうかという顔をしていた同行者も、ナイフとフォークを片手にし、覚悟を決めたかのようにガシュっと頬張る。すると耳に飛び込んできたのは、サクッという軽快な音。どうやら、かなり満足の様子。
それを我慢できずに少し分けてもらうと、「音は旨さを表すんだなぁ…」と思ってしまった。なので、身しか食べない同行者が残した尻尾も食べて、頭も食べる。ここが旨いエビフライこそ旨いエビフライだと思うのは、自分だけだろうか。
これは、ビーフステーキというよりも、
昔懐かし「ビフテキ」です!
そして、エビフライ定食と一緒に運ばれたサラダが、実は自分のビーフステーキ定食のサラダだと気がついたとき、厨房の奥から肉の香りが近づいてきた。
これはすごい!牛の形をした鉄板の上で、ジュージュー焼かれた牛肉。その上には、久し振りにその姿を確認したレモンバター。更に、ニンジンのバターソテー、インゲンのソテー、そしてケチャップナポリタン。いやぁ…このシチュエーションはたまらない。
ナイフで肉を切り分けると、その下には玉ねぎを発見。早くも肉汁を吸って旨そうな色合いになっている。決して贅沢な肉の味ではなく赤身のしっかりとした味。この、ルックスを含めて懐かしさを感じさせる味は、ご飯の友にうってつけ。
だから、「ビフテキ」という言葉が真っ先に浮かんだ。自分は、リアルタイムのビフテキ呼称世代じゃないが、たぶんこんな感じだったのだろうと思った。鉄板で焼かれたナポリタンも時間と共に香ばしさを増し、ニンジンのソテーも甘口。そう、自分はこういうのが食べたかった。
ところで…和食以外の食堂はないの?
青森県の食堂文化の深さについては、このコラムでも数多くのお店を通じて紹介しているところで、お店を訪れる度に、料理総合力の高さに驚くばかり。ただ、自分が住んでいた神奈川や東京と比較して「そういえば…あのジャンルの店がないなぁ」と思っていた。
そのジャンルとは、洋食に強い食堂。決してビストロのように気取ったものではなく、洋食堂。
東京には、このジャンルの有名どころとして、「キッチ○ジロー」とか「キッチン○海」といった大御所がある。一方、青森の場合は和ものを中心とした食堂が数多く、これは未開のジャンルといってもおかしくない。
で、洋食堂の存在を意識して店を探してみると、意外に早く発見することができた。しかも、三内丸山遺跡に向かうメインストリートの一つ、浪館通り沿いに。
極めて、民家的な外観ではあるものの、道路沿いにはしっかりと「中央軒」と書かれた赤地の看板が掲げられており、入口には「営業中」のプレートの姿も確認。
ということで中に入ると、左手にはメニューサンプルがぎっしり詰まったショーケースの姿。揚げ物、ソテー、カレー、ナポリタン…メニューの多さもさることながら、驚いたのはその値段。500円台からしっかり食べられる、ありがたい価格設定になっている。ただ、丼ものやラーメンも用意されており、洋食だけのメニュー構成になっていないところが青森らしさか。
レンガに囲まれた厨房で腕を揮うのは、
コック帽が似合うご主人。
で、男2人で入店したこの日。注文したのはエビフライ定食とビーフステーキ定食。特に、後者には語感の妙からか不思議な魅力を感じてしまう。
注文した後、自分の視線は赤いレンガで囲まれた厨房に向かった。コック帽が似合うご主人は、手に馴染んだフライパンを片手に、オムライスを作り、生姜焼き定食を作る。そんな姿を見ていると時間を忘れてしまう。
熱々に仕上がったオムライスや生姜焼きを頬張るお客さん。傍目に伺えるそのボリュームはかなりのもの。ちょっとだけ、心の準備が必要だと思った。
20センチ以上のエビフライが2本、
見ただけで胃袋が満たされます。
最初に運ばれてきたのは、エビフライ定食。大きくて太い2本の主役がドンと鎮座した定食は、これぞ洋食堂らしさに満ちた一品。
あまりの大きさに、どうやって食べたらいいのだろうかという顔をしていた同行者も、ナイフとフォークを片手にし、覚悟を決めたかのようにガシュっと頬張る。すると耳に飛び込んできたのは、サクッという軽快な音。どうやら、かなり満足の様子。
それを我慢できずに少し分けてもらうと、「音は旨さを表すんだなぁ…」と思ってしまった。なので、身しか食べない同行者が残した尻尾も食べて、頭も食べる。ここが旨いエビフライこそ旨いエビフライだと思うのは、自分だけだろうか。
これは、ビーフステーキというよりも、
昔懐かし「ビフテキ」です!
そして、エビフライ定食と一緒に運ばれたサラダが、実は自分のビーフステーキ定食のサラダだと気がついたとき、厨房の奥から肉の香りが近づいてきた。
これはすごい!牛の形をした鉄板の上で、ジュージュー焼かれた牛肉。その上には、久し振りにその姿を確認したレモンバター。更に、ニンジンのバターソテー、インゲンのソテー、そしてケチャップナポリタン。いやぁ…このシチュエーションはたまらない。
ナイフで肉を切り分けると、その下には玉ねぎを発見。早くも肉汁を吸って旨そうな色合いになっている。決して贅沢な肉の味ではなく赤身のしっかりとした味。この、ルックスを含めて懐かしさを感じさせる味は、ご飯の友にうってつけ。
だから、「ビフテキ」という言葉が真っ先に浮かんだ。自分は、リアルタイムのビフテキ呼称世代じゃないが、たぶんこんな感じだったのだろうと思った。鉄板で焼かれたナポリタンも時間と共に香ばしさを増し、ニンジンのソテーも甘口。そう、自分はこういうのが食べたかった。
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by jomonfan
| 2009-01-19 10:09
| takapu
昨年、11月22日(土)~12月21日まで、福岡県太宰府市に所在する九州国立博物館で「あおもり縄文展」を開催しました。この展示会は三内丸山遺跡や亀ケ岡遺跡など、本県の縄文遺跡から出土した貴重な出土品を展示し、本県の縄文文化や縄文遺跡の価値や魅力や価値について広く紹介するものです。願わくは本県に足を運んで、実際に縄文遺跡に立っていただきたいとの思いもあります。これまで、平成18年度は大阪歴史博物館で、平成19年度には江戸東京博物館で行い、今回が3回目で最後となりました。
九州国立博物館は開館して4年目を迎える、日本文化の形成をアジア史的観点から捉えることを目的として作られた新しい博物館です。施設はもちろんですが、展示も随所に新しい方法が取り入れられています。それに太宰府天満宮の近くにあることもあり、大勢の入館者が入ることでも話題となっています。会場としてはこれ以上のところは九州地方ではありません。この企画にも快く協力していただきました。
九州は、大陸から最も早く稲作を受け入れた地域ですし、最近は劣勢ではあるものの、邪馬台国の有力な所在地とされているところです。また、隣の佐賀県には東の三内丸山、西の吉野ヶ里と、日本を代表する遺跡である特別史跡吉野ヶ里遺跡が所在します。その弥生の本場で、「あおもりの縄文」がどのように受け入れられるのか非常に興味がありました。前の二回は開催期間が一週間と短かったですが、今回は一ヶ月としました。展示点数も大型板状土偶や縄文ポシェットなどの重要文化財を含む約500点と多く、縄文の魅力を伝える逸品揃いです。これだけの内容は、地元でもなかなか見ることはできないといっていいでしょう。
熱心に見学している様子 会場の様子(土偶が出迎え)
さて、展示会が始まりました。私達も会場に立っては毎日解説会を開き、質問にも答えるようにしました。入館者をじっと観察していると何に興味関心を持っているか、よくわかります。意外なことに土器をじっくり見ている人が多く、その造形的な美しさに驚かれた方が結構いました。また、イノシシを表現した土製品や埋葬した犬、美しいヒスイ、縄文人の復原マネキンなどの前で足が止まっていました。
「遠く離れた九州で、縄文の本場の出土品を見ることができてうれしい。」、「次ぎを楽しみにしているよ。」と多くの方々からお褒めと感謝の言葉をいただきました。最終的には4万6千人を越える入館者がありました。何度も足を運んでくれた熱心な方もいました。「あおもりの縄文」に驚き、感動された方が多かったと思います。確実に九州へあおもりの縄文の風を吹き込んだと言えるでしょう。同時に県産の物産販売も行い、館内には甘いリンゴの香りも広がっていたことも報告しておきます。
九州国立博物館は開館して4年目を迎える、日本文化の形成をアジア史的観点から捉えることを目的として作られた新しい博物館です。施設はもちろんですが、展示も随所に新しい方法が取り入れられています。それに太宰府天満宮の近くにあることもあり、大勢の入館者が入ることでも話題となっています。会場としてはこれ以上のところは九州地方ではありません。この企画にも快く協力していただきました。
九州は、大陸から最も早く稲作を受け入れた地域ですし、最近は劣勢ではあるものの、邪馬台国の有力な所在地とされているところです。また、隣の佐賀県には東の三内丸山、西の吉野ヶ里と、日本を代表する遺跡である特別史跡吉野ヶ里遺跡が所在します。その弥生の本場で、「あおもりの縄文」がどのように受け入れられるのか非常に興味がありました。前の二回は開催期間が一週間と短かったですが、今回は一ヶ月としました。展示点数も大型板状土偶や縄文ポシェットなどの重要文化財を含む約500点と多く、縄文の魅力を伝える逸品揃いです。これだけの内容は、地元でもなかなか見ることはできないといっていいでしょう。
熱心に見学している様子 会場の様子(土偶が出迎え)
さて、展示会が始まりました。私達も会場に立っては毎日解説会を開き、質問にも答えるようにしました。入館者をじっと観察していると何に興味関心を持っているか、よくわかります。意外なことに土器をじっくり見ている人が多く、その造形的な美しさに驚かれた方が結構いました。また、イノシシを表現した土製品や埋葬した犬、美しいヒスイ、縄文人の復原マネキンなどの前で足が止まっていました。
「遠く離れた九州で、縄文の本場の出土品を見ることができてうれしい。」、「次ぎを楽しみにしているよ。」と多くの方々からお褒めと感謝の言葉をいただきました。最終的には4万6千人を越える入館者がありました。何度も足を運んでくれた熱心な方もいました。「あおもりの縄文」に驚き、感動された方が多かったと思います。確実に九州へあおもりの縄文の風を吹き込んだと言えるでしょう。同時に県産の物産販売も行い、館内には甘いリンゴの香りも広がっていたことも報告しておきます。
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by jomonfan
| 2009-01-15 10:16
| 岡田 康博
山仕事をする人の誰もが里に戻る季節は、葉を落とした裸木の森は深閑とした景色が広がる。葉をまとった森は遠くを見渡すことができないが、景色が透けて近くに見える。人は寂しいと表現もするが中々素敵な景色です。
夕刻にでもなれば、細かい枝先の灰色が鉛色に輝く。このような景色は多くの人の目にふれることもなく、一部の酔狂な人だけの密かな楽しみです。深く積もった落ち葉を踏むと枯葉の音楽が聞こえ、空にはドンヨリとした雲がかかり冬の兆しを感じる。
遅出のキノコを探すこともままならないのだが、それでもシャキッとした姿のキノコが待っているようで嬉しい。遅いキノコ達はラッキーだと虫も食べていないこともあるので、直ぐにインスタントラーメンの鍋にぶちこんで食べることが出来る。何とも贅沢な野外料理の時間です。この頃は「エコ箸ブーム」なので現地調達の箸を使うのは普通になって、どのようなお客様にでもお勧めして喜ばれています。
秋の日差しは柔らかく優しいから、ラーメンランチのあとは枯れ草を枕に昼寝するのも楽しく風情が感じられます。北国の秋の夕暮れは釣瓶落としで夜になるので長居は避けたいところですが、短いからこそ楽しみが大きいのかも知れません。また、空気が澄んでいる季節だけに晴れた夜空は、満点の星が飾られ、空を一人占めする満足感に浸れるが、寒さもひとしおだけに防寒対策は十分にしなければならない。
そんな日を重ねながら砂時計の砂が落ちるように冬へのカウントダウンがはじまる。雨露に濡れた路面はスリップしやすいし、白神ラインの未舗装はあちこちに水溜りができ、車を大切にする人は走らないのが賢明ですが、その時期だからこそ走りたいと思うのは、ひと影のない道に動物の姿を見るチャンスが広がるからです。
夕刻にでもなれば、細かい枝先の灰色が鉛色に輝く。このような景色は多くの人の目にふれることもなく、一部の酔狂な人だけの密かな楽しみです。深く積もった落ち葉を踏むと枯葉の音楽が聞こえ、空にはドンヨリとした雲がかかり冬の兆しを感じる。
遅出のキノコを探すこともままならないのだが、それでもシャキッとした姿のキノコが待っているようで嬉しい。遅いキノコ達はラッキーだと虫も食べていないこともあるので、直ぐにインスタントラーメンの鍋にぶちこんで食べることが出来る。何とも贅沢な野外料理の時間です。この頃は「エコ箸ブーム」なので現地調達の箸を使うのは普通になって、どのようなお客様にでもお勧めして喜ばれています。
秋の日差しは柔らかく優しいから、ラーメンランチのあとは枯れ草を枕に昼寝するのも楽しく風情が感じられます。北国の秋の夕暮れは釣瓶落としで夜になるので長居は避けたいところですが、短いからこそ楽しみが大きいのかも知れません。また、空気が澄んでいる季節だけに晴れた夜空は、満点の星が飾られ、空を一人占めする満足感に浸れるが、寒さもひとしおだけに防寒対策は十分にしなければならない。
そんな日を重ねながら砂時計の砂が落ちるように冬へのカウントダウンがはじまる。雨露に濡れた路面はスリップしやすいし、白神ラインの未舗装はあちこちに水溜りができ、車を大切にする人は走らないのが賢明ですが、その時期だからこそ走りたいと思うのは、ひと影のない道に動物の姿を見るチャンスが広がるからです。
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by jomonfan
| 2009-01-14 14:13
| 土岐 司
パン好きの皆様、お待たせしました。
やっと、遺跡の近くにパン屋さんを発見です。
私事ながら、実は自分はパンが大好き。
遠足に持っていく弁当の双璧をおにぎりと成すサンドイッチや、菓子パン、惣菜パン。もちろん、食パンにもジャムを塗ったり、あんバターにしたり、時にはフレンチトーストにしたり…とにかく、自分はパンが大好き。
ただ、青森市内の特に縄文遺跡があるあたりには、パン屋なんて一軒もないと思っていた。というより、どうも縄文とパンは結びつかない。「縄文=和」というイメージになってしまうからだ。
ジョーモンツーリズムとパンを巡る旅。
しかも、お店も隠れ家ときたら…
でも、パンは小さな旅には欠かせない。小腹が空いたとき手元にあるのがご飯だと、本気モードっぽい食事になってしまうが、パンだと気軽にパクつくこともできる。なので、例えば縄文遺跡を車で周遊する「ジョーモンツーリズム」を実施する際には、いくつかを手元に置いておきたいところ。
そんなツーリズム用のパン選びに理想的なお店が、パン工房ブロート。三内丸山にも小牧野にも近いのが嬉しいところ。
多分、地元じゃない人間が向かうにはナビが必須。それだけ人影少なくひっそりとしたところにお店がある。逆に言えば、お店の周りの雪景色を眺めて思うのが、創作に打ち込むにはもってこいの環境だということ。現に、この店に来る手前には立派な工房の姿もあった。
お店のドアを開け、更にガラス戸を開くと、鼻腔をくすぐるのは焼きたてのパンの香り。やばい、この時点でパン好きの自分は興奮してしまう。
ジョーモンツーリズムですか?
それとも、パンツーリズムですか?
白い窓から射しこむ光に照らされたパン棚。そこには、素材へのこだわりや調理方法が記された、手書きのPOPの姿も。総菜パン、菓子パン、丸型の食パン。いかん、このままでは、ジョーモンツーリズムではなく、パンツーリズムと化してしまう。
更に隣の棚に目を移すと、今度は焼きカレーパンや、ピザパンの姿と無数のラスク。一口大の試食用のパンが入った籠も、いかにも「試食ですよ」といった扱いではなく、まるで詰め合わせ商品のように並んでいる。
そのラスクにしても、クロワッサンやクルミ、あるいはガーリックや赤トウガラシを使ったなんて一品もある。「そのお店のラスクの種類は、商品アイデアの引き出し数に比例する」という持論があるので、このお店はなんとも魅力的。
青森に足りないのは、「魅せる」という部分。
でも、ここは自然体でパンを作品として魅せている。
やっぱり、無機質に商品が陳列されているより、お客さんとキャッチボールをしている空気が伝わっているお店での買い物は楽しい。目で癒され、香りで癒され、接客に癒され、そして味に癒される。そんなお店だからこそ、長居して一つ一つのパンとにらめっこ。すると、いつの間にか1,500円分ぐらい買っていた。
たとえば、10種類の雑穀を使ったパンとか。
「ウチは、普通のパンを作っているだけです。」
なかなか、そんな言葉は言えません。
売り場の奥にある焼き場から出てきたご主人にお話を伺うと、「ウチは、普通のパンを作っているだけだよ!」とのこと。でも、普通というのが一番難しい。細部にこだわりを感じさせるパンを食べていると、作り手が言う「普通」のレベルの高さが見えてくる。
さぁ、熱い気持ちが詰まった、焼きたてのバターロールを堪能したら、車を走らせて縄文遺跡に会いに行こう。
やっと、遺跡の近くにパン屋さんを発見です。
私事ながら、実は自分はパンが大好き。
遠足に持っていく弁当の双璧をおにぎりと成すサンドイッチや、菓子パン、惣菜パン。もちろん、食パンにもジャムを塗ったり、あんバターにしたり、時にはフレンチトーストにしたり…とにかく、自分はパンが大好き。
ただ、青森市内の特に縄文遺跡があるあたりには、パン屋なんて一軒もないと思っていた。というより、どうも縄文とパンは結びつかない。「縄文=和」というイメージになってしまうからだ。
ジョーモンツーリズムとパンを巡る旅。
しかも、お店も隠れ家ときたら…
でも、パンは小さな旅には欠かせない。小腹が空いたとき手元にあるのがご飯だと、本気モードっぽい食事になってしまうが、パンだと気軽にパクつくこともできる。なので、例えば縄文遺跡を車で周遊する「ジョーモンツーリズム」を実施する際には、いくつかを手元に置いておきたいところ。
そんなツーリズム用のパン選びに理想的なお店が、パン工房ブロート。三内丸山にも小牧野にも近いのが嬉しいところ。
多分、地元じゃない人間が向かうにはナビが必須。それだけ人影少なくひっそりとしたところにお店がある。逆に言えば、お店の周りの雪景色を眺めて思うのが、創作に打ち込むにはもってこいの環境だということ。現に、この店に来る手前には立派な工房の姿もあった。
お店のドアを開け、更にガラス戸を開くと、鼻腔をくすぐるのは焼きたてのパンの香り。やばい、この時点でパン好きの自分は興奮してしまう。
ジョーモンツーリズムですか?
それとも、パンツーリズムですか?
白い窓から射しこむ光に照らされたパン棚。そこには、素材へのこだわりや調理方法が記された、手書きのPOPの姿も。総菜パン、菓子パン、丸型の食パン。いかん、このままでは、ジョーモンツーリズムではなく、パンツーリズムと化してしまう。
更に隣の棚に目を移すと、今度は焼きカレーパンや、ピザパンの姿と無数のラスク。一口大の試食用のパンが入った籠も、いかにも「試食ですよ」といった扱いではなく、まるで詰め合わせ商品のように並んでいる。
そのラスクにしても、クロワッサンやクルミ、あるいはガーリックや赤トウガラシを使ったなんて一品もある。「そのお店のラスクの種類は、商品アイデアの引き出し数に比例する」という持論があるので、このお店はなんとも魅力的。
青森に足りないのは、「魅せる」という部分。
でも、ここは自然体でパンを作品として魅せている。
やっぱり、無機質に商品が陳列されているより、お客さんとキャッチボールをしている空気が伝わっているお店での買い物は楽しい。目で癒され、香りで癒され、接客に癒され、そして味に癒される。そんなお店だからこそ、長居して一つ一つのパンとにらめっこ。すると、いつの間にか1,500円分ぐらい買っていた。
たとえば、10種類の雑穀を使ったパンとか。
「ウチは、普通のパンを作っているだけです。」
なかなか、そんな言葉は言えません。
売り場の奥にある焼き場から出てきたご主人にお話を伺うと、「ウチは、普通のパンを作っているだけだよ!」とのこと。でも、普通というのが一番難しい。細部にこだわりを感じさせるパンを食べていると、作り手が言う「普通」のレベルの高さが見えてくる。
さぁ、熱い気持ちが詰まった、焼きたてのバターロールを堪能したら、車を走らせて縄文遺跡に会いに行こう。
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by jomonfan
| 2009-01-14 14:06
| takapu
北海道と北東北の縄文遺跡群が、世界遺産の暫定リストに登録されて。
大変喜ぶべきことなのですが。縄文人のおかあさんとしては、一つだけ気を付けなくてはならないと思っていることがあります。
果たして。世界遺産に登録された後、我々は「何もしない」という選択が、できるのかどうかと。こと、縄文遺跡に関しては何かをすればするほど、遺跡から立ち上る「縄文の空気」というものが、消えていく傾向にあると思うのです。
何故なら。何かをするのは我々、現代人であるからです。
現代人の考えというのは、誠に単純で浅はかです。
「せっかく遺跡が出たのだから、ここにコンクリートで巨大モニュメントを建てよう!」とか。「遺跡が出たのだからここを記念公園として整備しよう!」とか。「縄文遺跡を観に来る人にお土産が必要だから、縄文Tシャツや縄文トレーナーを作って売りに出そう!」とか。誠に、現代的なのです。
何かをすればするほど「縄文から遠ざかっていく」ことに、「誰も気付かないのではないか?」と。私が不安に思うほど、そのモニュメントは造られ、縄文グッズを売りにした、ショッピングモールは建てられる傾向にあります。そうならないためには、本当に、よほど気を付けなくてはならないのです。
もちろん、出土した土器や遺物を見て、その時代に思いを馳せるのはとても重要なことです。しかし、我々はその「伝える手だて」をよく、間違えます。考古学的にわかったことの感動を、近代的な建物の中で、TV画面を使ってわかりやすくアニメのキャラクターが紹介したり、遺跡をライトアップしたり、「縄文人の暮らし」みたいに、ロウ人形に石槍や土器などを持たせて再現しがちです。(博物館によくあるよね……)
「その方法論、一見普通に見えて、何か間違っていないか……?」と。時折、不安になるのです。
それはあまりにも、現代人の感受性や想像力を、みくびった情報提供であると私は思うのです。聖地に立つだけで、縄文土器に触れるだけで、感じられるものがあるのではないか? と。
このような気持ちを激しく、的確に文章に表現した人が、岡本太郎だと思うのです。
岡本太郎は彼の著書『美の呪力』(新潮文庫)において、このように語っていました。
「かつて私は沖縄に行ったとき、そこで一番神聖な場所、久高島の御嶽(うたき)を訪ねて、強烈にうたれた。そこは神の天降る聖所だが、森の中のわずかな空地に、なんでもない、ただの石ころが三つ四つ、落葉に埋もれてころがっているだけだ。私は、これこそわれわれの文化の原型だと、衝撃的にさとった。(中略)」
「そのなんにもなさ、無いということのキヨラカサにふれて、言いようのない生命観が瞬間に私のうちによみがえったのだ。逆に、物として、重みとして残ることはわれわれ日本人にとって、一種の不潔さ、穢れのようなものではないか、ということさえ。
それはかつて縄文土器をはじめて見たときに覚えたなまなましい感動と、一見裏がえしのようだが、なにか同質の、いわば生命の共感ともいうべきものだった。」
この後、太郎は沖縄の歴史と文化レベルの高さに触れて、「そういうところで最も神聖な場所には何もないということは、明らかに積極的な選択があったと見るべきだろう。」と結んでいます。
私は、縄文を伝えることによってこの、「生命の共感を得たい」と思っているのです。そのための策というものを。「その場所に何もしない」ということを選択し、共に感じる手だてを。考えたいと思っているのです。
大変喜ぶべきことなのですが。縄文人のおかあさんとしては、一つだけ気を付けなくてはならないと思っていることがあります。
果たして。世界遺産に登録された後、我々は「何もしない」という選択が、できるのかどうかと。こと、縄文遺跡に関しては何かをすればするほど、遺跡から立ち上る「縄文の空気」というものが、消えていく傾向にあると思うのです。
何故なら。何かをするのは我々、現代人であるからです。
現代人の考えというのは、誠に単純で浅はかです。
「せっかく遺跡が出たのだから、ここにコンクリートで巨大モニュメントを建てよう!」とか。「遺跡が出たのだからここを記念公園として整備しよう!」とか。「縄文遺跡を観に来る人にお土産が必要だから、縄文Tシャツや縄文トレーナーを作って売りに出そう!」とか。誠に、現代的なのです。
何かをすればするほど「縄文から遠ざかっていく」ことに、「誰も気付かないのではないか?」と。私が不安に思うほど、そのモニュメントは造られ、縄文グッズを売りにした、ショッピングモールは建てられる傾向にあります。そうならないためには、本当に、よほど気を付けなくてはならないのです。
もちろん、出土した土器や遺物を見て、その時代に思いを馳せるのはとても重要なことです。しかし、我々はその「伝える手だて」をよく、間違えます。考古学的にわかったことの感動を、近代的な建物の中で、TV画面を使ってわかりやすくアニメのキャラクターが紹介したり、遺跡をライトアップしたり、「縄文人の暮らし」みたいに、ロウ人形に石槍や土器などを持たせて再現しがちです。(博物館によくあるよね……)
「その方法論、一見普通に見えて、何か間違っていないか……?」と。時折、不安になるのです。
それはあまりにも、現代人の感受性や想像力を、みくびった情報提供であると私は思うのです。聖地に立つだけで、縄文土器に触れるだけで、感じられるものがあるのではないか? と。
このような気持ちを激しく、的確に文章に表現した人が、岡本太郎だと思うのです。
岡本太郎は彼の著書『美の呪力』(新潮文庫)において、このように語っていました。
「かつて私は沖縄に行ったとき、そこで一番神聖な場所、久高島の御嶽(うたき)を訪ねて、強烈にうたれた。そこは神の天降る聖所だが、森の中のわずかな空地に、なんでもない、ただの石ころが三つ四つ、落葉に埋もれてころがっているだけだ。私は、これこそわれわれの文化の原型だと、衝撃的にさとった。(中略)」
「そのなんにもなさ、無いということのキヨラカサにふれて、言いようのない生命観が瞬間に私のうちによみがえったのだ。逆に、物として、重みとして残ることはわれわれ日本人にとって、一種の不潔さ、穢れのようなものではないか、ということさえ。
それはかつて縄文土器をはじめて見たときに覚えたなまなましい感動と、一見裏がえしのようだが、なにか同質の、いわば生命の共感ともいうべきものだった。」
この後、太郎は沖縄の歴史と文化レベルの高さに触れて、「そういうところで最も神聖な場所には何もないということは、明らかに積極的な選択があったと見るべきだろう。」と結んでいます。
私は、縄文を伝えることによってこの、「生命の共感を得たい」と思っているのです。そのための策というものを。「その場所に何もしない」ということを選択し、共に感じる手だてを。考えたいと思っているのです。
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by jomonfan
| 2009-01-09 12:02
| 山田スイッチ